9/11/10

生きるということ

...ニューヨークで私は、いくつかの希望と、いくつかの絶望を、同時に抱え込んだ気がします。ただ、俳優にとって幸いなのは、どんな経験も、すべてが演じるうえで、役に立つということです。もちろんそれは、つらく厳しいことでもあるのですけれど。
(黒柳徹子著、ニューヨークの贈り物より抜粋)

私の歩んで来た道は困難に見えるかもしれない...人間はなんのために生きるのかって考えるけれど、人生はいろんな苦難を乗り越えていくためにあると思う。
(フジコヘミング著、運命の力より抜粋)

自分の人生を振り返ると、20代の後半は、見事なまでに苦難の連続の時期で、生きることに疲れたり、生きることの意味を見いだせなくなったりしたことも、決して一度や二度では無かった。何のために今ここでこんな目に遭わなくてはならないのか、と自分の宿命にうんざりしたことも何度もあるけれど、結局のところ、その時の経験を時が経ってから反芻することで、学んだことがたくさんあり、その時の経験があるおかげで、今のドク論のテーマに関する知識が増えていたり、自分の当たり前のスタンダードの中にどんな偏見が潜んでいたかわかったり、自分の執着に気がついたり、と様々な気づきがあったところを見ると、絶望に打ちひしがれるほど辛いことも必要だから起きている、とひしひし感じるのです。生きることに疲れても、生きることを諦めなければ、必ず何か得られるものなのかもしれません。

今は華やかに活躍しておいでのお二方のエッセイを抜粋して載せました。自分と一緒にするようなおこがましいつもりは毛頭ありませんが。。。

絶望を経験しているからこそ演じられる心を打つ芝居。
苦難を乗り越えて来たからこそ奏でられる人の心に届く音色。

辛い人生の陰の部分を経験しているからこそ、彼女たちの持つ光の部分が際立つのでしょうか。

久しぶりに真面目モードのqueenanneboyでした。

P.S. 徹子の部屋の第一回目が森繁久彌のセクハラでスタートしていたとは(汗)