12/25/11

白洲正子さんの著書

留学生の間は、学期が終わると帰省するまでの間しばらく時間があったので、
よく美術館へ行って好きな絵を眺めたり、好きなカフェで本を読んだり、
オペラを学生料金でただ同然で見たり、結構楽しい時間をすごして、
4時間くらいしか眠れない毎日が3ヶ月ぶっ続けの大学院生活の中で
カサカサになった自分の心をケアする時間に充てていた。

その頃、よく白洲正子さんの著書も学期が終わると読みふけっていた。
日本文化を同胞としての親しみと思い入れを込めつつ、outsider的な
視点で冷静に描写している彼女の筆致に引き込まれるように読んでいた。

今にして思えば、それは、常に自分の心の中にわき起こっては消えてゆく
疑問への答えを自分なりに見つけようとしていたのかもしれない。
世界中から人や物が集まってくる場所に暮らして以降、ずっと心の中に
渦巻き続けるある疑問。。。

自分は何ものなのだろうか?という疑問。

Why I'm being here as who I am?
What makes me different from everybody else?
Why do I behave, think, reason and
relate to the people in the way I do?

勿論育った環境がimprintingしたものはあるだろうけれど、それだけでは
ない何かも確かに自分の中にあって自分に多大なる影響を与えているのも
感じていた。それは漠然と日本の文化が自分に与えた影響なのかもしれないし、
sexual orientationなのかもしれないし、他の何かなのかもしれない。

その疑問、未だ答えは模索中。

3 comments:

  1. 今思い返すと学生時代「小説」の中に逃げ込んでいた..と想う。
    子供の頃から本はとにかくたくさん与えられていたので雑食だったけど、小学校転校ばかりで友達ができるまでや理不尽ないじめに耐えた時期は図書館の本が友達だった。中学〜大学の頃まだRockに夢を持っていて何かを変えたいと想っている自分とそれは現実無理と想っている自分もいた。
    今は神様にとらえられている実感があるけど、この頃はなかったから三島由紀夫氏の「豊穣の海」やカフカ、カミュの作品で感じる輪廻転生の方がなんだか入り込みやすかったから。
    卒論に「環境異常による適応異常」を書いたのもこのへんの本の影響が大きかったと想う。

    確かに、
    自分は...なにものなんだろう..って良く想ってた。
    この状況じゃなかったら...とか。

    でも今はなんだか不思議と「今」がいい。
    あのとき「こうしてたら...」と想う事がないわけじゃないけど、今は
    これまでのすべてがあって「今がある」となんか納得している。

    そしてこれから何が起こるか判らない事にワクワクしている。
    そう...どうなるわかんないから楽しいんぢゃない?人生って^^;

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  3. 自分が何者なのか考えるきっかけが僕の場合はNYっていう街が持ってる多様性だったんだよね。ポジティブな意味での疑問。この状況じゃなかったらとか、逃避でっていう捉え方ではなかったかな。

    世の中にはこんなにも様々な考え方や生き方や暮らし方がある中で、なぜに自分はある種の考え方を当たり前だと思うのか、って常に意識せざるを得ない環境だったってことかな。。。別に自分と違う考え方の人と常に対立していた訳ではなくて、そういう違いを尊重する中で見えて来た疑問というか。金色に近い茶色から、黒髪に戻したのもこの頃で、それもある種アジア人としての自分を大事にしようっていう意識の現れだったのかも。

    何が起こるかわかんないから楽しい反面、怖くもあるよね、人生って(笑)

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